【レポート】家族をみんなでカンガエルーシンポジウム(2021/1/30開催)【詳細版】
2021年1月30日(土)、稲城市聴覚障害者協会・NPO法人インフォメーションギャップバスター・聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会・J-CODAの4団体が主催した「家族をみんなでカンガエルーシンポジウム」という「聴覚障害者の家族」に焦点をあててイベントが稲城市中央公民館ホール及びオンラインで開催された。
「聴覚障害のシンポジウム」というと聴覚障害当事者の生きにくさや教育について語られることが多く、このような「家族のコミュニケーション」について語られることはそう多くない。特に、「子どもが聴覚障害者」ではなく、CODA(聴覚障害者の親を持つ子ども)やSODA(きょうだいに聴覚障害のある立場)のような立場から語ることはかなり珍しい。
私は母方の祖父、母、私、弟が難聴なのだが、全員が音声をメインにコミュニケーションを取っている。そのため、他の家族の中でもコミュニケーションに大きく困ったいう経験はそれほどないのだけど、ちょっとした困りごとが重なってストレスになることもあった。そのような立場から今回のシンポジウムにはとても興味があった。
また、ろう学校に通っている時に、家族とのコミュニケーションが上手く取れずに精神的に落ち込んでいる人も何人も見ていた。中には、コミュニケーションを完全に諦めていて、目の前で手を振ってもほとんど外界に反応を示さない、という生徒もいた。そのような聴覚障害者の「不幸」を減らすためにもこのようなシンポジウムは必要であるはずと感じて、参加させていただきたいとお願いしたところ、レポーターとして参加させていただけることになった。
当日は新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されており、スタッフは全員が口元が見える透明なマスクをつけたり、消毒液を複数準備するなど感染防止が徹底されていた。また、会場にて参加するのは50名だが、オンラインでは250名を超える視聴者が集まり、オンライン配信の準備もかなり大変だったようだ。なお、このシンポジウムでは「グラフィックレコーディング」というリアルタイムで話される内容をイラストに起こしていく手法も使われ、内容を理解するのに大きな助けとなった。各種情報保障を含めて、主催者の皆様の苦労は並大抵ではなかったと思う。
今回のシンポジウムの登壇者は、アイドルグループSPEEDの元メンバーで現在は聴覚障害のあるお子さんを育てながら参議院議員をされている今井絵理子氏、SODAで大学院生の丸田健太郎氏、CODAでライターの五十嵐大氏の三名で、それぞれが違った立場から発信されている方々であった。
シンポジウムは、まず主催者挨拶や来賓紹介が行われ、今井氏のミニ講演から始まった。今井氏が息子に聴覚障害がある可能性があることを知ったのは、息子が新生児聴覚スクリーニングテストを受けたときだ。他の子どもたちが「異常なし」ですぐに検査が終わる中、自分の息子だけは1時間経っても検査が終わらず、ほどなくして医師から聴覚障害がある可能性を告げられた。この診断を聞いて「これほど涙が出るのか」と思うほどに涙が出たという。
子どもが生まれてくる時、子どもが五体満足で健康に生まれてくることを祈らない親はいないだろう。ましてや、歌手として長年活動されてきた今井氏にとって、息子が聞こえないというのは人一倍大きなショックだったというのは想像に難くない。
今井氏はほどなく、「息子の隣にいる私がへこんでいては何もできない」と決意して「耳から入る情報がなくても目から入る情報は限られないはずだ」と手話の世界に飛び込み、今ではお子さんとのコミュニケーションに困らないという。
今井氏のお子さんは先日、子どもの頃から好きだったプロレスラーとしてデビューしたのだが、この事も含めて今井氏は「子どもに聴覚障害があってもまっすぐに生きることを諦めず、可能性は無限だ、ということを信じて欲しい」と訴えていた。
次に、SODAの丸田氏のミニ講演が行われた。丸田氏はオンラインでの参加となり、スライドを同時に映しながら大変わかりやすく講演を進めていた。
丸田氏には聴覚障害のある姉と弟がおり、普通に聞こえるのはきょうだいで一人だけという。この経験から学校教育からこぼれ落ちる子どもたちの存在に目を向けて、教育の枠組みを再構築する研究をされている。
丸田氏はきょうだいのコミュニケーションについては「困った」と感じたことはそれほどないようだ。しかし、子どもの頃から「自分は聞こえないきょうだいのために頑張らなければならない」という気持ちがとても強く、「自分のために遊ぶ」というような意識を持つことができず、自分の心を潰していた面があったそうだ。
丸田氏は成長してからSODAの集まりに参加し、SODAの中にもきょうだいに対して責任を持つ人もいればそうでない人もいると知って驚いたという。その中で、きょうだいに対して必ずしも「責任」を感じる必要はないと気づかれ「もし、きょうだいに聴覚障害者がいて負担に感じたり辛いと思うことがあるなら同じ立場のSODAなどに相談して欲しい」と同じ立場の人に呼びかけていた。
私は聴覚障害者であるが、SODAという言葉を知ったのは本当に最近だし、どんな問題があるかもピンと来ていないものがあった。しかし、丸田氏の話を聞いて、きょうだいの問題はヤングケアラーが持ちがちな「(たとえ子どもでも)自分がしっかりしなきゃ」という気負いを過剰に背負ってしまうこと、また、周囲の大人たちがその気負いに依存してしまうということと同じ問題なのだと知ることができた。
最後に、両親が聴覚障害者である五十嵐大氏がCODAの立場から講演を行った。五十嵐氏は幼少期の頃は家族との複雑な関係もあって苦痛しかなかったそうだ。ただ、母とは自然に覚えた手話でコミュニケーションをとっていて、幼い頃から「母を守らないと」という気持ちが強かったという。それでも、思春期を迎える頃に友達から「お母さんの発音おかしいね」と言われて、母を恥ずかしく思い、距離を置くようになってしまった。そして、「自分の人生が辛いのは母のせいだ」とまで言ってしまったこともあると、つらそうに語っていた。
私も母が聴覚障害があり、おそらくその遺伝で私も聴覚障害がある。そのため、子どもの頃に母に「なんで生んだんだ!」と怒鳴ったこともある。そのことを思い出すと、今でも胸が締め付けられるように痛くなってしまう。そのため、五十嵐氏の話を聞きながらつい目頭が熱くなってしまった。五十嵐氏は後半は涙声で話されていたが、会場を見渡すと何人もの方々がハンカチで涙を拭っていた。
五十嵐氏は現在はライターとして聴覚障害だけでなく、さまざまな障害者や社会的マイノリティーの方々の取材を続けている。取材をする時に「自分の両親も耳が悪い」と打ち明けると、立場は違えども「同じような痛みを共有している」と感じ合い、取材対象者が深いところまで自分のことを話してくれることが多いそうだ。辛い思いをしたからこそ、わかりあえることも多いし、そういうマイノリティーの方々のことを発信していくことが母への恩返しなのだと信じているという。
最後に、五十嵐氏の夢として「傷つけあったからこそ母と本当の絆を感じることができた。これからは母との思い出をもっと作っていって母との絆をより一層深めていきたい」と述べていた。会場は大きな温かい拍手で包まれシンポジウムの前半が終了した。
ところで、このシンポジウムをオンラインで視聴した方々によると、マイクの音声がとても小さく、聞きにくかったそうだ。しかし、主催者サイドから「これもまた聴覚障害者の普段の講演を経験できる機会。ぜひUDトークなどを活用して視聴して欲しい」とアナウンスがあり、とても面白みを感じたし、たしかにこういうトラブルのためにも「情報保障」というのは有効であるのだなぁ、と感心した。
休憩を挟んで、後半は質疑応答・パネルディスカッションが開かれた。まず、三者から別な二名のミニ講演を聞いての感想を共有する場が設けられた。
今井氏は「聴覚障害者についてさまざまな立場から発信されていることは心強い」と聴覚障害児の親としての意見を素直に述べられ、丸田氏は「聴覚障害者との関わり方は人によって千差万別だが、底に流れているテーマは一緒ではないか。聴覚障害者の地位向上のために立場を超えて連携して社会を変えていきたい」とコメントされていた。五十嵐氏も「同じ痛み・苦しみを共有しているのだと共感できた」と、聴覚障害者の家族として「同じような悩み」を抱えているのだ、ということを強調されていた。
私は感想の共有を聞きながら、聴覚障害者の家族といっても、SODAやCODA、親などと関係性で向き合い方に違いはあるのだけど、それでも、何か共通したテーマを全員が感じているように思った。
次に質疑応答が始まり、最初にIGBインターンでろう者の吉田 麻莉氏から「もし、家庭に手話がなかったら家族の聴覚障害者とどうコミュニケーションを取るか?」という質問があった。今井氏は海外に行った時に言葉がわからず絵を書いていたという経験から「絵を描いて伝える」、丸田氏は兄弟とあまり言葉を話さなくても目を見てわかるということで「目を見て話す」、五十嵐氏はそもそも手話を正式に習っていたわけではなく身体の動きで親に言葉を伝えることも多かったとして「体の動きで伝える」、とこれまでの家族とのコミュニケーションに基づいて回答されていた。
続けて、オンライン視聴者よりヤングケアラーの問題として「昔、どういう支援があれば嬉しかったか?」という質問があった。丸田氏からは「SODAという言葉を知らなかったし、知っていても『自分が無理をしている』という気持ちを持つことができなかった。周囲の大人たちが『無理をしているよ』と伝えてくれればよかったのではないか」と回答。子どもに「世話」を押し付けてしまう問題は根深さをにじませる話であった。
五十嵐氏は「親が聴覚障害者で給与が少なく経済的に困っていた高校を退学しようとしたとき、先生が親身になって相談にのってくれた。その先生は途中で学校をやめたが、別な担任に情報を引き継いでくれて嬉しかった」という自分の体験を引いて、聴覚障害者やその子どもに対する経済的な支援があれば助かった、という話をされていた。聴覚障害者の所得は平均的にかなり低く、子育てをする上でこれもまた障害になるということに気付かされた。お二人の話から、今回のシンポジウムでも明らかになっていない問題もまだまだ数多くあるのだろうと感じてしまった。
この後も会場やオンライン視聴者から「家族の間の話は難しい問題ではあるが、お互いに考えあって乗り越えられるようにしていきたい」「聴覚障害者のきょうだいがいるが我慢をしているのという自覚がもてた。我慢をしないようにしていきたい」などとたくさんの質問や感想が寄せられ、またたく間にシンポジウム終了の時間が迫ってきた。
最後にIGB理事長の伊藤芳浩氏の挨拶があり、「これまで、聴覚障害者の家族としての立場の方々が集まって話す機会はなかった。今回のシンポジウムを通して、家族の問題をもっと声をあげてことを大事だと確信した」とした上で、「同じようなイベントを定期的に開催したい。そのためにIGBをはじめとした諸団体で頑張っていきたい」と今後の展望を述べられ、シンポジウムは閉幕した。
今回のシンポジウムに参加して、さまざまな立場の方々が一堂に会して話し合うことは「家族のコミュニケーションの問題」にのみならず、聴覚障害者自身の「生きやすさ」や「社会地位向上」を考えるために必要不可欠なことであると感じた。また、自分自身が「聴覚障害」という問題をどう捉えて、その解決のために考えていかなければならないのか、という新しい指針をいただけたように思う。
最後に、主催者の皆様にはコロナ禍にあって難しい運営を迫られる中でこのシンポジウムを開催されたこと、突然なお願いに関わらず、レポーターと参加させていただいたことに対して深くお礼申し上げます。また、貴重なお話を惜しみなく話していただいた登壇者の皆様に深く感謝いたします。ありがとうございました!
レポーター:くらげ(本名:木村仁)
ADHDのある人工内耳装着の聴覚障害者男性(36歳)本業はリモートワークの会社員で障害者分野等でライターとしての仕事もしている複業者。著書二冊あり(ボクの彼女は発達障害1・2)。発達障害などがある妻と二人暮らし。勤務先は障害者専門クラウドソーシングサービス「サニーバンク」。
1/30(土)に開催した家族をみんなでカンガエルーシンポジウムに参加申込ができなかった方向けに、アーカイブ(録画)を販売いたします。販売期間は3/31(金)までです。
ご購入いただけると1ヶ月間視聴することができます。
本シンポジウムパネリスト今井絵理子さんのコメントもアーカイブ録画に含めています。関心がある方は是非ともお申し込みください!
▼【購入者特典有】アーカイブ録画の購入はこちら。Filmuyという動画販売サイトにて販売しています。
https://filmuy.com/igb
※購入者特典:「しくじり家族」執筆者&本シンポジウムパネリスト五十嵐大さんのメッセージカード
※申込済の方は別途アーカイブ録画を提供していますので、購入不要です。